0:自己肯定感の話
お久しぶりです。
最近は高校の友達と電話で朗読劇なるものをやってみたり、spoonという配信アプリで初配信を試みてみたり、26800円くらいのワイヤレスイヤホン(米津玄師のCMのやつ)を無くしてみたりと、のびのびやってます。
自己肯定感がぎゅいーんと、一気に上がる方法はないかなと最近うんうん唸ってます。
なので前述した朗読や配信をやってみたのですが、その一瞬は上がって楽しくても、配信や通話を切った瞬間「ああ、1人だなあ」となってしまうところもある。
(人と時間を共有させてもらってる時ははちゃめちゃ楽しいのですが)
じゃあ誰かと一緒になって、そのあたりのパーツを埋めやすくしたら良いのかと思う時もあるのです。でも、やはり根本の自己肯定感、軸のようなものがしっかりしてないとどれだけ好きな人と一緒にいて、好いてもらっても「こんな私が好きだなんて。どうかしている」と、謎のシステムが作動してしまってだんだん気持ちがしぼんでいくか、癇癪を起こすかどちらかになってしまう。ひええ、悲しい。
趣味が無いという話を例にとってみますね。
趣味がない人って、色んなパターンがあると思うんですけどその中の1つに「趣味のある人から与えられたものを一緒に消費することがパターンになっているタイプ」の方もいらっしゃる気がしていて。というか、私がそれなんですけど。
アロマが好きな女性に月一のさっくりとしたアロマ教室に連れて行ってもらったり、料理が得意な男性に美味しいパスタを作ってもらったり、ギターの弾き方を教えてもらったり聴かせてもらったり。
その瞬間は楽しくてハッピー!って感じ、関心も持つのですがおうちに帰ると ほのかな後味を残してしゅわっと消えてしまいます。
これはひとえに、私に食べさせてくれたその人なりの楽しさや関心、趣深さや面白さを消費しているだけに過ぎないからだなあとひしひし感じる人生です。
大体与えてくれる側の人って
「趣味なんて、知らない間に出来ている」
というのです。なんでや。徳が高いぞ。
前世でどんな徳をつんだら趣味が出来るのだろう。逆に私は人でも殺めたのかしら…バナナの皮でも設置してたのかしら…
このブログも書いてるのが楽しい!というよりは、少しずつ、自分の中の絡まったなにかをアウトプットする練習をしている感じです。
少しずつ、楽しく、なるべく多くの人に伝わりやすく書けるようになるといいな。
明後日には以前の記事にも書いた16タイプPC診断に行ってくる予定なので、その記事も書けたらと。
最近また、コロナの感染者が増えて来ているのでうーん…という気持ちもあるのですが、通勤ラッシュの時間は避けられそうなのでさくっといってパパッとかえって来ようと思います。
それでは。月曜日もやっていきましょう。